明治天皇御聖蹟
明治9年7月5日 
一日市町 渡辺弥四郎宅
その後之を撤去す。
以下略

明治14年8月18日
四日町 伊藤儀兵衛宅
明治24年火災に羅り、
以下略
花巻の開町は文禄(1592〜1595)頃に四日町、慶長年間(1596〜1614)頃に八日町(後の川口町(現在の上町))、続いて一日市町(ひといちまち)の順で開かれ、合わせて花巻三町と呼ばれました。 四日町・一日市町は花巻城の北西方面にあたり、毎月四と一のつく日に開かれた定期市が町名の由来となっています。表町は道幅が5間(約9m)で奥州街道であり、特に一日市町には東西の御仮屋(藩主の仮宿泊場所・本陣)制札場(市・町での禁止事項などを掲げた所・高札場)といった重要な施設がおかれていました。またその西側にならんで道幅が3間半(約6.3m)の裏町があって四日町には稲荷社と広隆寺、一日市町には妙円寺などの神社や寺が多く建立されていました。 安永9年(1780)当時の家数は四日町140軒・一日一町118軒とあります。町場の出入口付近には木戸(都市の治安維持のためにおかれた門)がつくられ、町境もかぎ型に曲げられるなど巧みに非常の際の工夫がされていました。

明治天皇聖蹟・花巻城下町発祥の地 四日町1丁目 花巻市 岩手県