ここ鍛治町地区は、豊沢川の伏流水が地下水脈を形成しているものとみられ、水量の豊富な井戸が各家にありました。この井戸は、母イチが宮澤賢治を出産する前から使用されていたものです。賢治生誕の当日、母イチは午前4時ごろ陣痛、7時出産と伝えられ、祖父善治にとっては初孫である賢治の出産で、宮澤家では、この井戸から水を汲み上げ、産湯を沸かして準備するなど、さぞあわただしかったことでしょう。 賢治の生まれた8月27日の5日後の31日午前5時、真昼岳(岩手・秋田県境)を震源とする「陸羽大地震」(マグニチュード7.2)が起きました。.この時、父政次郎は商用で不在。初孫を心配して、波のようにゆれる地面をようやくふみしめながら鍛冶町までたどりついた父方の祖母キンが見たのは、20歳の嫁イチが、生まれたばかりの賢治をかぱうために、.のりかかるように上体をおおって、一心にお念仏をとなえている姿であったと伝えられています。(堀尾青史著 『年譜 宮潭賢治伝』 参照)

宮澤商店(宮沢賢治母イチ実家) 鍛治町3 花巻市 岩手県