永承元年(1045)頃、安倍頼時が当地一帯に本拠を構えたとされるが、一族の主な居住地域は川西で、政庁や家臣団の居住地はこの川東てあったと推測されている。 当時、桜並木によって囲まれていたと伝えられるここは、康平5年(1062)9月の安倍貞任の撤退までの18年間安倍氏の政庁であり、その翌年の康平6年(1063)から永保3年(1083)までの20年間は安倍氏に替って奥六郡を支配した清原武則 武貞、真衡の三代の政庁もしくは居館であったといわれる。 ここが衣川柵と称されるようになったのは清原氏支配になってからで安倍氏の時代には柵は不要であった。

     並木屋敷跡 並木前 衣川区 奥州市 岩手県