新町のおこり
江戸時代の中頃の貞享3年(1685)、本町に接して奥州街道沿いに造られた町。奥寺新田開発によって戸数が増え、街道の交通量が多くなったことなどにより、奥寺八左エ門兄弟によって創設された。新田町ともいわれ、当初の戸数44軒。江戸時代は伝馬・人夫の負担、市の開設など、宿駅の機能を本町と分担した。三浦屋が脇本陣(本陣に次ぐ公の休泊施設)を務めていた。(北上信用金庫本店付近)。市日は五日市で、毎月5日・15日・25日に開かれた。西方の村々と川岸の御蔵を結ぶ年貢街道といわれた道路が町のなかほどを横切っていた。このため人の出入りが多く商売が繁昌し、本町と競っていた。  平成元年3月 北上市教育委員会
明治天皇御駐輦趾 本通1丁目 北上市 岩手県