江戸時代の初めの慶長9年(1602)に造られた奥州街道の宿場町。古くから奥羽山脈寄りを通っていたこの地方の南北交通の公道は、江戸幕府の街道整備事業により、奥州街道として北上川寄りのルートに切替えられた。盛岡から一日の道のりに、また、和賀川が増水したときの足止めに応じられるように、その近くの黒沢尻の野原を切り開いて74四軒の宿場町を新設した。宿駅としてのこの町には、大名や幕府役人などの休泊施設である本陣・脇本陣が置かれ、旅人・荷物・通信の運送や伝達にあたる、定められた数の伝馬や人夫が常備された。そのほか、地方自治や経済の中心地として鬼柳黒沢尻通代官所・検断が置かれた。また、毎月九日・十九日・二十九日の九日市が聞かれていた。   平成元年3月 北上市教育委員会
本陣跡 本通2丁目 北上市 岩手県