明暦2年(1656)伊達藩主二代忠宗公の時、北境の備えとして当地に番所を設置すると共に街道をはさんで両側に軽臣(足軽)102名を置いた。 番所は左図の通り、足軽屋敷三軒分(間口18間、奥行25間)の中に2棟の建物があり、1棟は事務所(番所)で、前が庭になっており通行人を取調べた建物、もう1棟は番所役人控室で番所及び関門を守る足軽の控所であった。 尚、番所の内側には捕手道具の、こがらみ、ちくも、さしまた等のほかに、鉄砲10丁、弓10張、槍10本を備え、番所には武頭1名(250石、出入司支配扱い、百日交代で仙台より出張)組頭2名、床頭1名、足軽4名が、常時勤務した。 番所の前は組頭三宅氏の屋敷であるが、二軒分の屋敷の裏に二棟の土蔵があり、一棟は御蔵米の収蔵庫、もう一棟は武器庫で、鉄砲、火薬及び予備の捕手道具が備えられていた。 又、川□には川留番所と、穀改番所があり、川□、六軒町の足軽は御番所の指示をうけて勤務した。平成20年3月 相去地区自治協議会

相去御番所跡 相去 相去町 北上市 岩手県