金ヶ崎城は大町氏の居館で大町主計定頼が正保元年(1644)禄三千石をもって東山藤沢から移り九代にわたって224年間居住した所である。胡桃館ともいわれたという。大町以前には、桑折氏次に留守氏が居住したがいずれも十数年にすぎなかった。金ヶ崎城の情景を大町氏の家臣藤原一之は、『城外の風惶春色新たに宮人織るが如く来往頻なり鯉魚無数池上に浮かび白壁暉々水に映じて鮮なり』と一詩をもってたたえている。 しかし明治維新後は荒廃はなはだしく陸中の人、五山をして『タ餉たく煙も細し白糸の古城の跡の民のかまどは』詠嘆させるほど、もの寂しいものであった。今は、蔵館跡の大半は北上川に浸触されてくずれ去り、東舘および観音館は、土木工事のため削りとられて旧観をとどめない。 また城内の中央を県道が貫通し本丸と二ノ丸跡は住宅地になるなどして変容したがわずかに残る堀跡や土塁なとから昔をしのぶことができる。 口碑によればこの地には、永承の昔白糸姫の往んだ白糸城があったと伝えられている。金ヶ崎城の興亡も白糸姫の悲恋物語と共に今は昔の語り草になってしまった。   平成元年2月  金ヶ崎町・金ヶ崎町観光協会 

金ヶ崎城跡より北上川展望 西根白糸 金ケ崎町 胆沢郡 岩手県