高野家は、高野長英の母、美也の実家で、長英が17歳で江戸に出るまでの一時期を暮らしたところです。現在の建物は、1876(明治9)年に改築されていますが、西側の表庭に面した八畳と六畳の二部屋が、長英の居室として保存されています。 長英9歳のとき、父の後藤惣介が亡くなります。その後、母とともに高野家にもどり、14歳で伯父高野玄斎の養子となります。長英は、「解体新書」を著した杉田玄白に学んだ蘭方医でもあった養父高野玄斎に蘭学を学びます。また、祖父の高野元端から漢籍を学び、元端が東山興田(現在の東磐井郡大東町)でひらいた寺子屋では祖父の代理も勤めたとも伝えられています。  (国指定史跡) 水沢市

 高野長英旧宅 大畑小路 水沢区 奥州市 岩手県