(留守家17代宗景の妻悦子の墓)
当時江戸にあった。眉目清秀な青年大名宗景に想いを寄せた悦子は筑前の太守52万石、黒田光之侯の3女であり、東北の陪臣1万余石の小大名とは格式の上からも正式な結婚ができずある人の橋渡しにより松平忠久の養女となって留守家に輿入れしたものである。しかしこの夫婦も悲哀の物語につつまれ、宗景26歳で逝き、翌年彼女も24歳の若さで江戸で没した。彼女の死を前にして「せめて江戸への道の見える丘に葬ってほしい」との遺言でこの地に埋葬されたという。そのころ、この辺には南へ通ずる街道があり、大鐘、真城を経て仙台、江戸へ通ずるものであった。

 松平氏の墓 水沢公園内 中上野町1丁目 水沢区 奥州市 岩手県