江戸時代の奥州街道には一里(約4km)ごとに塚が設置され、沿道に松が植えられていました。この一里塚は、仙台から30番目の塚で、下伊澤郡須江村に位置していました。もとは幅5.4m前後の道路の両側に2基つくられたものですが、昭和44年の国道4号線バイパス工事で東塚が撤去され、現在は西塚だけが残されています。(中略)なお、奥州街道は水沢市折居町から西側の高台を通り、水沢公園の愛宕社参道から袋町に入るルートをとっていましたが、明君4年(1658)頃、小山崎から山崎町の妙法寺、七軒小路に抜ける道路に切り替えられました。 元禄12年(1699)の上伊澤郡大絵図と下伊澤郡大絵図(右図)には、真城一里塚のほか、水沢城下北入り□の不断丁の北に奥州街道31番目の一里塚が描がれています。また、脇街道の胆沢町から秋田県増沢町に抜ける秋田街道と北上川を越える黒石街道にも一里塚がつくられています。平成15年3月 水沢市教育委員会

真城一里塚 真城中上野 水沢区 奥州市 岩手県