この和風の門は藩政時代の前沢領支の三沢氏居舘の表門を修復再建したものである。前沢は天正18年(1590)豊臣氏の全国統一により大守の葛西氏は滅び、改めて伊達藩に組み入れられた。以来、伊達氏により領主は大内、成田、飯坂の各氏と代った。最後に領主として着任したのが三沢氏である。三沢氏の治政は初代宗直氏より8代邦為氏迄で明治維新(1867)を迎える釣190年間、知行高は3千石で伊達藩家臣団最上席の一門の地位にあった。
 三沢氏の館は前沢小学校校舎とこれに続く山裾の一町歩以上の広さだった。(中略) 明治になり藩政は全て廃された。これに伴い三沢領も崩れ、館は一時胆沢県庁として使われていたが一括払下げられその面影を消した。この表門は後に古城の阿部修氏宅のものとなっていたが先年町に寄附された。以下略  平成11年3月  前沢町教育委員会

    三沢氏居館表門 下小路 前沢区 奥州市 岩手県