ここ釣山は大自然の営みから生れた丘陵で、古くから道行く人々の目印でした。 一関藩校初代学頭の関元龍の著した「関邑略史」によると、釣山は古代から軍事上の要塞であり、高崎城とも篠見山とも呼ばれています。
   ○征夷大将軍 坂上田村麻呂の陣地(大同年中)
   ○安倍貞任弟 磐井五郎家任の砦(天喜年中)
   ○源頼義、義家親子の篠見山の陣地(康平年中)
   ○葛西氏家臣小野寺道照の居城(天正年中)
 以上が中世まで釣山に関わった人物と伝わり、葛西氏の滅亡に伴い伊達氏の支配となり、一関城に伊達政宗の叔父・伊達(留守)政影が移ってきました。 江戸時代にあって、仙台藩のうち三万石が分封され、「一関藩」がうまれ、最初の藩主は伊達政宗の十男の伊達兵郡家勝でしたが、伊達騒動(寛文事件)で土佐に配流になり、一時仙台藩領に戻りました。 その後、天和二年(1682)岩沼から伊達家分家の田村建顕公が一関藩主として移封され、以後明治維新に至るまで十一代の歴代藩主が治めました。田村氏の居城は現在裁判所のある城内で、一関城下絵図にも範囲が描かれています。釣山は田村氏の居館を見下ろす高所に位置するので、誰彼と入れる場所ではありませんでした。(中略) 釣山頂上には千畳敷と呼ばれる平坦地があり、その下には日本庭園などが公園として整備されています。日本庭園の北側にある四阿(あずまや)や千畳敷から見る眺望は素晴らしく、磐井川を眼下にし、市内全域ほか北上平野、蘭梅山、観音山、烏兎が森、さらには栗駒山、束稲山、室根山の展望が広がります。  ここは市民公園です。道ぞいの様々な植物を楽しみながら、ごゆっくり散策を楽しんで下さい。 平成14年1月22日 寄贈創友会
釣山公園 釣山 一関市 岩手県