「寛永十九年(1642)伊達藩図」によれば、台町を起点とする街道は、迫(はさま)で、山形および仙台方面に分岐し岩ケ崎、迫に宿駅が置かれている。 また、「元禄十二年(1699)西磐井郡図」に西街道としるされ、一里塚が図示されている。 下って元文元年(1736)道しるべが立ち、「これ従右ハはさま道、左ハせんだい道」と刻まれておリ、文化十三年(1816)鬼死骸村絵図に迫街道としるされている。 真柴字蔵主沢西側から、荻荘字刈又の平坦地を横切リ、西側の山を峰伝いに南下し、宮城県境を越えて岩ケ崎、迫、仙台、山形方面に通じている。藩政時代は奥州街道についで栄えたが現在は荒れ果てて見る影もない。 元禄二年(1689)芭蕉が門人曽良を伴ない一関でニ泊した後、五月十四日はさま街道を通って、岩出山(宮城県)へと行脚した。 (向って左側の小さい石碑) 一関市
はさま街道起点 台町 一関市 岩手県