旧奥州街道肘曲がり坂 入口

奥州街道とはf江戸時代、東海道や中山道、日光道中、甲州道中とともに、五街道の一つに数えられた奥州道中の別称で、正式には江戸日本橋を起点とし、千佳宿から白河宿までの道中を意味しますが、次第に陸奥三厩宿に至る、概ね115宿の街道の名称となりました。ここは江戸時代、栗原郡三迫有壁宿の北側、観音寺を通り北に向かう上り坂で、この坂の頂上付近が肘曲がり坂と呼ばれています。安永年間(1772〜1781)の『有壁村風土記御用書上』に「肱曲り坂 長三拾間(約50m)とあり、江戸時代からの名称であることがわかります。肘曲がり坂、大沢田坂を越え、磐井郡鬼死骸村を通り田村氏の城下町であった一関に至ります。
明治時代に入り陸羽街道(現在の国道4号)の開設と鉄道の開業によりこの街道を利用する人々が少なくなり廃道となりました。このため、江戸時代に多くの人々が往来した当時の様子を偲ばせる道路や切り通し、講中により建てられた石碑群や自然環境が大変よく残されています。 平成18年3月 栗原市教育委員会

肘曲がり坂

農道と交差 小屋の左から山道再入

大沢田坂

見晴らし開ける

宮城・岩手県境 林道に合流 左へ

丁字路左折 右、標識等

丁字路 右側 岩手県真柴事業区

下り坂 右視界ひろがる

左:ミチノク  舗装道路から県道260号へ
 旧奥州街道(有壁〜一関) 栗原市・一関市