明治43年9月、金成尋常高等小学校校舎として竣工、請負者は後藤幸之丞、大工は蘇武民作、金谷秦助で、工費五千五百円と伝えられています。 木造素木造り、二階建、寄せ棟屋根で鉄板葺(当時は小羽葺)本屋の妻部に棟高の一段低い切妻屋根の階段室(昇降□)を付し、正面中央にポーチ(二階ベランダ)を突き出させています。構造的には、洋風真束小屋組を架しているが、ベランダ正面の意匠に軒唐破風、懸魚、虹梁、鰭を付した大瓶束を用い、また各室に棹縁天井を張り軒をせがい造りにするなど各所に伝統的な和風手法が顕著にみられます。竣工年時、請負者、大工も明確で、明治末期の擬洋風校舎として和洋折衷法が根強く伝承された地方色の濃い建築であり、また、平面形状として中廊下式を学校建築に採用しており、現在、本県における唯一の遺構で、保存状態も良好で学校建築史上貴重な建物です。以下略 平成六年四月一日 金成町教育委員会

  旧金成小学校校舎 中町 金成 栗原市 宮城県