沢辺館は臥牛(がぎゅう)館とも呼び、鎌倉時代葛西氏家臣二階堂常信の居館であった。東西130m、南北250mの敷地にあり、本丸には土塁跡、二の丸には経塚がある。西側台地は根小屋と称し家来達の住居跡があった。北側は崖で三迫川が流れ、流域は金成耕土が広がる。南側は丘陵となり、二条の空堀跡があったが、昭和30年4月沢辺中学校敷地造成のため地形が変わり今は見ることができない。 二階堂常信は正治年中(1200頃)、衣川村よりこの地に移り館を築いた。以後代々沢辺氏を名のる。後大崎領になったため、沢辺氏は旧黒沢村(一関市)霞館、下油田村(花泉町)蒲沢館と移り、再び葛西領に戻ったので12代重光の代に沢辺館に帰館した。 その後天正18年(1590)秀吉の奥州仕置によって葛西、大崎氏は滅亡したが、旧葛西氏家臣であった小野寺氏は伊達氏に仕え、小野寺道行、道重、道貞の三代が居館した。 平成14年3月  金成町教育委員会

   臥牛館跡(沢辺館跡) 館下 金成沢辺 栗原市 宮城県