姉歯の門屋敷前に「三界万霊供養塔」が建っている。文化15年(1818)初夏仏縁日の33回忌に姉歯馬場屋敷菅原三郎兵衛が建立したものである。これは天明6年(1786)江戸時代後期には、しばし飢餓が起り享保、天明、天保は近世の三大飢餓といわれ、惨状がはなはだしかった。天明3年諸国飢饉、東北地方は最も被害甚大で、米麦は勿論雑穀の収穫も皆無に等しいので、牛、馬、鶏、犬の肉はもとより、雑草、樹皮まで食ったという。  また道路に倒れて死んでいく者、その数知らす、始めは所々に埋めていたが後には誰もかえりみる者もなく、屍は犬やからすの餌になったと記されてある。当時の農民の飢餓の資料を全慶寺過去帳から天明6年死者55人、同7年23人、同8年61人、同9年19人、同10年には10人となっている。 全慶寺の壇家には当時沢辺の町だけだから150戸くらいであつたろう。これから見ると天明8年には40%の家で死亡者が出たことになる。一家で4人も死亡した例もある。過去帳にあるのは葬式弔いのあつた家のみだろうから、貧農で飢饉に堪えかねて知らぬ土地に行き野たれ死した者も相当あつたと想われる。 平成5年3月  金成町教育委員会

 三界萬霊供養塔 根岸 金成姉歯 栗原市 宮城県