この高清水中学校の敷地には、中世から近世の城館である高清水城かあり、寛政10年(1798)に書かれた『高清水拾遺志』には中世の奥州探題大崎氏の一族である高泉直堅が天文年間(1532〜1555)に築城し整備したと記されています。 高清水は古代〜中世には近くを東山道や奥大道が通っていたといわれ、近世になると奥州街道や佐沼登米道が整備され、街道の交差する交通の要衝にあります。高清水城は城に準ずる「要害」と呼ばれる仙台藩の軍事的拠点でした。慶長9年(1604)に仙台藩の重臣亘理重宗(一門)が拝領、その子宗根(むねもと)が居城して以降、亘理氏がこの地を治め、宝暦7年(1757)からは石母田氏(一家)の領地となりました。以下略  平成16年12月 高清水町教育委員会

高清水城跡 東館 高清水 栗原市 宮城県