(前略)社伝によれぱ、文治3年(1187)御烏羽帝の御代、源義経は頼朝の勘気を受け奥州平泉へ下向の際、北陸路を通り鳴子を経て荒谷に到着した。吉野の山によく似た斗瑩山に立ち寄り、静御前遺愛の鼓の調べに聞き入っていた時、どこからともなく白狐が現われ、「鼓は自分の亡き母の皮でつくったもの。せひ返していただきたい。そうしてくれれば、義経公の守護に当たり、難を救ってあげます」と涙ながらに申し出た。そうしているうちに白狐は斗瑩山の岩穴に入り込んだので義経は弁慶に命じ祭壇を築かせ一行の武運長久を祈願した。(中略)特に石巻方面の漁業家の信仰が厚く、江戸後期に金華山沖の漁場で発見された約四百年前の古い錯が奉納されている。
幕末の剣聖、千葉周作は少年時代を荒谷明神(斗瑩稲荷神社)で過ごした。周作の出生地については諸説があるが、その幼名を、於菟松といい、五歳頃、父幸右衛門に伴ってこの明神下に居を構え父も剣の道に秀れ村の見廻り等をしていた。(中略)昭和57年6月16日、NHK「歴史への招待」で千葉周作が放映された際、荒谷斗瑩稲荷神社境内が少年時代の生い立ちの地として全国に紹介された。なお、隣の光明寺内に一族の墓がある。  斗瑩稲荷神社宮司

斗瑩稲荷神社 荒谷斗瑩 古川 大崎市 宮城県