室町時代大崎七代教兼の第六子が初めて居を構えた地と伝えられ、その後大崎家の家臣、古川刑部持慧古川弾正忠隆の居城であったが、大崎氏滅亡後一時木村伊勢守吉清の子清久が居城した。天正19年失政多く農民の一揆により失脚し、ついで伊達政宗がこの地方を領有するに及び重臣鈴木和泉元信をしてこの城に居らしめた。鈴木家三代宗良の時、正保2年(1645)桃生郡深谷に転封され、その後古川は藩直轄の地となり、城は廃止され御蔵場となった。明治時代小学校敷地となり現在古川第一小学校となっている。以下略   古川市教育委員会

古川城址 二ノ構 古川 大崎市 宮城県