瑞川寺の開山は明確ではありませんが、「稲葉村風土記」によると、寺地は初め千手寺付近にあったと思われます。大崎氏の全盛期|こは田地の寄進などにより、郡内屈指の寺であったと伝えられています。しかし、度重なる戦火により寺は廃寺同然となってしまいました。その後、慶長の初め頃伊達政宗の重臣鈴木和泉元信が古川を領したとき荒廃した寺を憂いて、仙台松音寺六世松庵賢貞和和尚を招請し、数戸の租税をこれに充てて中興開山したと伝えられています。この際、古川城の欄手門を城から撤去し、城門を寺門風に一部改造して寄進したものと言われています。門は室町時代の建築様式といわれ、延宝年間には鐘楼としてもちいられていました。 山門の規模は間口が3.7間、奥行が2.4間で二階建てになっており、上下の構造を異にしながら古色彩然として、特有の風格に富んでいます。 なお、本市に現存する建物では最も古いものと考えられており、li和45年1月25日に古川市有形文化財に指定されています。 古川市教育委員会

瑞川寺 三日町2丁目 古川 大崎市 宮城県