一里塚は織田信長の時代に戦国の荒廃した道を整備するため四人の道奉行を置き道の改良・交通制度の確立がなされ、道はばも束海道は6.4mその他の主要道路は5.5mとし1里毎に塚を設け木を植えて里程標にしたといわれています。 この一里塚は仙台方面から吉岡城下に入る旅人の道しるべとして直径10m、高さ3mの塚の上に杉が植えられ、一本杉の愛称で親しまれていましたが、落雷によりすっかリ破損しておりました。国道4号の拡巾工事(4車線化)にあたり建設省仙台工事事務所が移設整備したものであります。ご好意に感謝し、再生なった「一里塚」が多くの町民に憩いの場として永く親しまれるよう祈念します。昭和61年8月 大和町長 木幡恒雄 |
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奥道中歌 国分の町よりここへ七北田よ 富谷茶のんで味は吉岡 寒いとて炊くべきものは三本木 雪の古川荒谷つめたや おもひきり日は高清水宿とりの 杖築館て道急ぐとは あれ宮野沢辺の蛍草むらに 鳴く鈴虫の声は金成 うわさする人にくせ有壁の耳 口のあけたて一関なり 以下青森三厩まで続く 平成11年9月1日 一里塚会 |
一里塚 吉岡上道下 大和町 黒川郡 宮城県