天正19年(1591)豊臣秀吉は、伊達氏の支配下にあったこの地方を没収し、蒲生氏郷に与えた。蒲生氏家臣蒲生源左衛門郷成は城下町を含む城郭、白石城を築城し城主となった。慶長3年(1598)上杉領となってから上杉氏家臣糟備後守清長は白石城の再構築を行い居城した。慶長5年(1600)関ヶ原合戦の直前、伊達政宗は白石城を攻略し、この地方は再び伊達領となり、伊達氏家臣である片倉小十郎が大改修を行い、以後明治維新まで260余年間片倉氏の居城となった。(中略)  元和元年(1615)の一国一城令以後も仙台藩は幕府から青葉城と白石城の二城が許され、明治維新には奥羽越31列藩同盟がこの城で結ばれ、公議府が置かれ輪王寺宮が滞城された。その後按察府の設置、兵部省兵隊屯所になるなど、日本の歴史の変転期には一役を担う重要な城であった。・・・・・・・・・・・明治7年白石城民間に払い下げ解体    明治33年白石町益岡公園設定
 白石城 白石市