白石城主片倉小十郎歴代御廟 白石市
三代片倉小十郎景長が、病身の身を押し、駕篭にゆられて巡視した結果、白石城を見ることのできるこの地を選び、片倉家代々城主の墓所として設定したのがこの場所である。景長は、仙台より石工を招いて阿弥陀仏像を刻ませ、初代景綱と二代重長の墓を傑山寺からこの地に移したのが延宝8年(1680)で、初代景綱の命日である10月14日である。又三代景長は、翌年延宝9年に病死したが、前二代にならって石像をつくらせて、墓標とし以後9代まで同じようにここの葬られている。7代村廉夫人は、仙台藩主伊達吉村公の息女お郷様(昌子夫人)だったので、城主同様にここに葬られ、合わせて10体の阿弥陀仏像が、石畳を敷いた床面の上に並んで葬られてある。ほかに明治初年に没した10代宗景の碑があり、これらが苔むした花崗岩の玉垣に囲まれて整備されているのが片倉家廟所である。藩主の陪臣の墓所としては、他に例を見ないめずらしいものである。