俳聖芭蕉が奥の細道行脚の途次、須賀川の等躬宅で詠んだ、”風流のはじめやおくの田植唄”の句を当地の俳人「馬耳」が享保4年(1719)5月12日此処に埋め、塚を築き「芭蕉翁」と刻んだ碑を建立し、芭蕉追慕景仰の供養と当時盛んであった信達地方の俳壇の隆盛を祈願したといわれています。このとき建碑記念句座を設け「田植塚」乾坤二冊を馬耳が撰集し開版しております。(中略)馬耳は当地本陣の役人佐藤左五左衛門宗明の俳号であり、奥州俳壇の実力第一人者である。以下略  昭和63年4月  桑折町教育委員会
法円寺・芭蕉の田植え塚 桑折町 伊達郡