観音堂 
平安時代の末に、飯坂の大鳥城に居城を構えて信夫郡一帯を支配した佐藤庄司基治は有名ですが、その叔父と伝える伊賀良目七郎高重は、ここ五十辺に館をを構えていました。この子孫である春顕が応永23年(1416)10月に祖先伝来の観音像を本尊として建立したのが観音堂の始まりであると伝えられています。
磨崖仏群 
西国33観音本尊像をはじめ、60体に及ぶ供養仏がありますが、宝永2年(1705)の聖観音像・同7年の巳待供養弁財像が年紀のわかるものとして古いものです。33観音像もおおかたこのころから彫られたと思われますが、西国の札所名と本尊のお姿が正確で仏像の儀軌に通じた修行層が敬虔な鑿をふるったものと思われます。 福島市教育委員会
岩谷観音 磨崖仏群 福島市