知恵子抄詩碑 二本松城 二本松市
明治から昭和にかけて詩人として、また彫刻家として有名な高村光太郎〔明治16年(1883)〜昭和31年(1956)〕が、亡き夫人・智恵子〔安達町出身・明治19年(1886)〜昭和13年(1938)〕の生涯を痛切な鎮魂の思いを込めて回想した詩集「智恵子抄」は、いまでも読む人の心に感動を与えています。当詩碑は詩集中の「樹下の二人」の冒頭の句で、二人の純愛を永く後世に伝えようと、市内有志および詩人・草野心平らの尽力により昭和35年(1960)5月22日に建立されました。この二つの露頭石は、畠山満泰が二本松城を築く際に「夫婦の牛」をいけにえにしたところ、牛の霊は天に昇り、身は石と化したという伝説の石「牛石(うしいし)」と、呼ばれています。なお、小さい雌石にも同詩集より「あどけない話」の一節が刻まれています。    二本松市