慶応4年(1868)7月戊辰戦争の最中、二本松藩大半の兵力が西軍を迎え撃つべく出陣し、城内・城下は空虚同然であった。この緊迫した状況の下、少年達の出陣嘆願の熱意に、藩主は止むなく出陣許可を与え、13歳から17歳までの少年62名が出陣、7月29日、城内への要衝・大壇口では隊長木村銃太郎率いる少年25名が果敢に戦ったが、正午ごろ二本松城は炎上し落城した。この二本松少年隊群像は、大義のため戦う隊長及び少年隊士と、我が子の出陣服に藩主丹羽氏の家紋・直違紋(すじかいもん)の肩印を万感の思いで縫い付ける母の像を表したものである。なお、この地は「千人溜(せんにんだめ)」といい、藩兵が集合する場所であり、少年隊もここからそれぞれの守備地に出陣した。   二本松市
 二本松少年隊 二本松市