歌碑 |
太郎丸供養塔 |
小沼幸彦の歌碑 「旅人よ石井の清水見むとならばこのいしふみをしるしてゆけ」 小沼幸彦は、本宮町南町を開いた小沼貞長の10代の子孫で、学問に励み、47才のとき、水戸学派の国学者生駒熊文に学び「古学・和歌」に優れていた。この歌は、右の太郎丸供養塔を発見した頃に作られたものである。 昭和60年12月 本宮町教育委員会 |
この碑は、文化13年(1816)5月日記沢へいく道筋で発見された。小沼幸彦は、「石井清水」への道しるべであると考え「岩井考」を書き残した。しかし、正安3年(1301)に建てられた供養のための石の塔婆で、左側1/3程度欠けているように思われる。 |