宗祇戻しの碑・芭蕉句碑・道標 旭町1丁目 白河市 福島
文明13年(1481)白河城主結城政朝が鹿嶋神社の神前で一日一万句の連歌興行を催した。これを伝えきいた都で名高い連歌の宗匠、宗祇法師が、はるばる奥州にくだり、三十三間堂の前を通り、一女性に行きあい鹿嶋連句の終了を告げられた。その時宗祇は女の背負っていた綿をみて「売るか」と問うたところ、女はすぐに「阿武隈の川瀬に住める鮎にこそうるかといへるわたはありけれ」と和歌で答えた。これを聞いて宗祇は東奥の風流に感じ、ここから都へ引き返したと言い伝えられています。

芭蕉の句碑 
早苗にも 我色黒き 日数哉風流のはじめや奥の田うへ哥 芭蕉
これは芭蕉が白河の関を越えた折の句で、須賀川から白河の俳人何云(かうん)に当てた手紙のなかにあります。この句碑は天保14年(1843)芭蕉の150回忌に、乙丸ら白河の俳人によって建立されました。