三基の石塔は、中央が吉次、左が吉内、右が吉六のいわゆる、「金売り吉次3兄弟の墓」と伝えられています。(中略)承安4年(1174)吉次兄弟が砂金を交易して、奥州平泉と京とを往復する途中、ここで群盗に襲われて殺害され、里人がそれを憐れみこの地に葬り供養したと伝えられています。また、後に源義経がここに立ち寄り、吉次兄弟の墓を弔い、近くの八幡宮に合祀したと伝えられています。(後略)       平成16年4月   白河市教育委員会
金売吉次兄弟の墓 白坂字皮篭  白河市 福島