足利家歴代の墓所 龍光院 喜連川 栃木
この寺の創立者は、足利尊氏であって東勝寺と号し下野国の安国寺であった。喜連川左馬頭頼氏の時慶長6年(1601)父頼純逝去されたので、当山に葬り戒名の龍光院殿全山機公大禅定門の頭をとって龍光院と改称した。以来足利家の菩提所と定めて寺領50石を賜り喜連川藩公代々祈願追善の香華の院であった。墓所周囲は築堤を回らし総面積400平方米石塔54基の他石灯篭があり、14代に亘る藩主御台所嫡子等の墳墓にて、城下町喜連川の代表的文化財として旧態を保持している。