奥州街道は白澤、氏家、喜連川、佐久山、大田原、鍋掛、越堀、白河の10宿、20里22町余の道中で江戸時代、五街道の一つとして江戸と奥州を結ぶ重要な交通機能を果たしてきた。奥州街道と大谷街道の分岐点となっているこの道標は享保以前頃の設立で「右 江戸海道、左 水戸かさま、下だて、下づま」とある。「馬頭観世音」碑は幕府下野の名筆家、喜連川藩ゆかりの小山霞外の書で天保9年(1838)11月の設立である。ここは氏家宿の南端でもあり、奥州街道は=(かぎ)の手に曲がり、木戸番所が設けられていた。
奥州街道道標石  氏家 栃木