小川馬継場跡地(東端) 小平消防署西交差点 小川町2丁目 小平市 東京都
慶長8年(1603)徳川家康が江戸に幕府を開くにおよび、同11年(1606)から開始された江戸城の大改築に重要な資材であった白土(石灰)を、その産地である現在の青梅市成木・小曽木から江戸城にに運搬するために使われた道がこの青梅街道で、別名成木街道ともいわれた。この道は、起点を成木に発し、江戸城の裏木戸、半蔵門まで武蔵野の荒野30数キロメートルを一直線に切り開いてつくられたもので、途中、箱根ヶ崎・小川・田無・中野の4ヶ所に馬継場が置かれた。小川村の開発者小川九郎兵衛が、この地に馬継場を開設したのは明暦3年(1657)で、小川村開発の進展はこの馬継場の開設によるところが多く、正徳3年(1713)の頃には小川村に荷馬158頭が飼育されていたという記録がある。小川町2丁目の旧小川6番組から8番組にかけて、今も道幅が広くなっているところが当時の馬継場の跡地である。江戸城の改築は、家康・秀忠・家光の3代にわたって行なわれ、30年の歳月を要したといわれる。幕府御用の石灰輸送は大がかりなもので、大名行列に準じたと伝えられる。上り下りの人馬でにぎわったこの街道も、寛政年間(1789〜1801)新河岸川の水運が開けてからは、成木地方の物資は船輸送にかわるようになった。その後は、奥多摩地方の雑穀を四谷・中野方面の問屋に運ぶ交通路として使用された。今では面影はほとんどないが、かってこの街道の両側には新田特有の屋敷森が縁どり、夏はさわやかな木かげを投げかけ、冬は冷たい北風をさえぎっていたものである。  小平市教育委員会  小平郷土研究会