青梅橋跡・青梅橋欄干 小川町1丁目 小平市 東京都
この橋は、青梅街道の起点青梅から20km、終点四谷から25kmのところに位置し、承応4年(1655)、玉川用水から分水された野火止用水を、青梅街道が横断するために架けられました。 両岸を石組で固めた幅約2.5m、長さ約4mの木造の橋でしたが、昭和になってコンクリート製に架け替えられました。 架橋されて300年余り後に橋は取り壊され、青梅橋の名のみが残りました。 これは昭和38年5月の東村山浄水場の開設にともない、玉川上水からの水の取入れが、この橋のすぐ下流まで野火止用水路を利用した暗渠となったためです。その後、近くの西武拝島線青梅橋駅も、昭和54年3月25日に東大和市駅と改名され、現在では、地名すら消えつつあります。 往時、この橋から丸山台まで、4kmにわたって幅約20mの道の中央に一列に植えられた千本桜と呼ばれる桜並木がありました。その数といい、樹令といい、小金井堤の桜に劣らぬすばらしいもので、季節には、近郷の人々の花見で賑わったといわれます。戦前まで点々と残っていたこの桜並木も、今はそのおもかげすら残っていません。青梅橋からこの桜並木を経て、箱根ヶ崎に至る旧青梅街道は、今はさびれて断続的にその道を残すだけとなりました。これにかわって箱根ヶ崎から狭山丘陵下旧集落沿いの道が栄え、奈良橋から南に折れて青梅橋までの道が、いつしか青梅街道と呼ぱれるようになりました。青梅橋から丸山台の一つ家までは人家がなく、青梅街道中の難所で、夜ともなれば夜盗追いはぎの危険に道を急ぎ、日のあるうちに箱根ヶ崎や小川に宿を求めたという昔日の旅人のことなど、今では考えられません。 平成18年3月 小平市教育委員会 小平郷土研究会