成子天神社 西新宿8丁目 新宿区 東京都
江戸・東京の農業 鳴子ウリ
成子天神を中心とした地域は、江戸時代
マクワウリの特産でした。記録によれば、江戸に幕府を開いた徳川家は、元和年間(1615〜24)に美濃の国真桑村から農民を呼び寄せ、鳴子と府中の是政村(現在の府中市)に御用畑を設け、マクワウリを栽培をさせました。マクワウリは根が浅く、土の乾燥に弱いので、土に湿り気のある神田川流域の当地は適地でした。元禄11年(1698)新宿に宿場が開かれたため、栽培は次第に盛んとなり、当時、四谷ウリとか、この地域が鳴子坂と呼ばれていたので、鳴子ウリと呼ばれ、明治にいたるまで特産地として栄えました。鳴子ウリは長さ4寸(12cm)で、太さは元で1.8寸(約5.4cm)。末で2寸(6cm)余りの小型のウリで、外観は緑色で表面に細い緑のすじがあり、熟すと甘い香りと共に黄色く色付く。果肉は緑色で甘味に富んで、当時は甘い物が少なかったので水菓子として貴重な野菜でした。  平成9年度JA東京グループ