北方渡跡 北方町北方 一宮市 愛知県 
北方渡し跡(新木曽川大橋上流)
 かっては、対岸の円城寺へ渡る清洲岐阜間の幹線道路。 慶長5年(1600年)関ケ原の合戦の際、徳川家康は、ここを通って美濃に向かったことに由来し、尾張藩主は交代するたびに、往時をしのび「岐阜お成り」と称し岐阜を訪れた。その際ここに御見合場を設け、殿様の御駕龍を据え大網漁を見せた。後年、路線変更により、官設の渡船は下流の宝江に移った。ここをお波戸場と呼び明治初年まで「切支丹宗門の者、打ち首に行はるべき者也」との高札があった。 また、慶長13年(1608)犬山〜弥富間に美濃側より三尺高い「お囲い堤」が築かれ尾張藩を守った。 この堤の上の道路を「お堤通り」と言った,  一宮北ライオンズクラブ   平成7年1月