芭蕉句碑 十八楼 湊町 岐阜市 岐阜県
美濃の国長良川にのぞんで水楼あり。あるじを賀島氏といふ。稲葉山うしろに高く、乱山西にかさなりて、近からず遠からず。田中の寺は杉のひとむらに隠れ、岸にそふ民家は竹の囲みの緑も深し。さらし布ところどころに引きはへて、右に渡し舟うかぶ。 里人の行きかひしげく、漁村軒をならべて、網をひき釣をたるるおのがさまざまも、ただこの楼をもてなすに似たり。暮れがたき夏の日も忘るるばかり、入日の影も月にかはりて、波にむすぼるるかがり火の影もやや近く、高欄のもとに鵜飼するなど、まことに目ざましき見ものなりけらし。かの瀟湘の八つの眺め、西湖の十のさかひも、涼風一味のうちに思ひこめたり。もしこの楼に名を言はむとならば、「十八楼」とも言はまほしや。 

        このあたり めにみるものは 皆涼し       貞亨5年6月

長良川畔、現在の岐阜市玉井町付近にあった当時の油商賀嶋善右衛門(俳号鴎歩)の水楼に招かれた際に、そこからの長良川の眺めを「中国の名所、瀕相八景と西湖十景を合わせたほどの美しい景色である」と讃えています。賀島鴎歩から水楼の名を変えたいといわれ、芭蕉は中国の濠相八景、西湖士景を合わせ、「十八楼」の名に変更してはいかがかと助言した結果、賛同され、以後「十八楼」の名称に変わったといわれております。「十八楼」の名は現在も、長良川畔の旅館の名前として残っています。