提灯塚 千城台東3丁目 若葉区 千葉市 千葉県
史跡ちょうちん塚
お成り街道をはさんで向かいあう高さ3mほどの盛土は「ちょうちん塚」または「一里塚」と呼ばれている。半分ほど削られてしまったのが、惜しいが慶長19年(西暦1614)徳川家康の命令で、佐倉藩主土井利勝が沿道の村人を動員して船橋から東金まで約38kmの直線を、三日三晩で造ったと伝承される。この道は、別名「一夜街道」というが、家康の強大な権カぶりがしのばれます。 この塚は起伏のある下総台地の高所につくられてあり、道すじをきめるのにあかりをともし直線を定めたといわれる。なお、この地点より約1里{4kmほど)東金寄りの富田町に「一里塚」とよばれる盛土と椎木の古木が現存するのをみると道のりを示す役目を果たしたかもしれない。将軍のお成りは、家康二回、秀忠八回、家光一回の計十一回が、「徳川実紀」に記録されている。 千城台南中学校 郷土研究クラブ