花島観音(天福寺)標識塔・六十六部供養塔 天戸町 花見川区 千葉市 千葉県

是北観音堂へ八町

西ふなばし道


六十六部供養塔
前の十字路は、徳川家康の東金への鷹狩り(慶長19年正月)にあたり、佐倉藩主土井利勝が沿線の村々に工事区間を分担して造らせた東金と船橋をほぼ一直線で結ぶ「御成街道」と南は袖ヶ浦(東京湾)へ北は印旛沼へ出る「検見川道」が交差しているところです。この十字路から花島方向へ50m程行ったところに馬頭観音や庚申塔(宝暦12年)があります。この辺りは享保7〜8年頃まで牧場の入口でした。習志野原は、江戸時代徳川幕府が”下野牧(野馬)を経営していたところなので、検見川道を行き交う人々は、牧場を通って往来していました。 この「花島山正観世音」(明治14年)は、江戸時代中頃より明治時代にかけて観音信仰が盛んであった名残です。刻まれて'いる奉納者を見ると、幅広い人々の交流をうかがい知ることが出来ます。もう一つの”六十六部供養塔(宝暦13年)”は、巡礼(六部)行脚の供養塔です。これ等は、昔の農村の人々の心を伝える貴重な文化遺産ですから大切に保存してください。 平成4年3月 千葉市教育委員会