蜂子神社 羽黒山 羽黒町手向 鶴岡市 山形県

出羽三山の開山は千四百年余前の推古元年(593年)といわれています。第32代崇峻天皇の御子である蜂子皇子が、聖徳太子の勧めにより、宮中を逃れ、越路(北陸道)を下り、能登半島から船で海上を渡り、佐渡を経て由良(現鶴岡市)の浦に辿りついたところ、三本足の大きな鳥が飛んできて、羽黒山へ導いたといいます。 蜂子皇子はそこで難行苦行の修行を積まれると、ついに羽黒の大神「 伊氏波神いではのかみ」のご出現を拝し、羽黒山頂に社を創建され、その後月山、湯殿山を開かれたそうです。これが、羽黒山に伝わる開祖の由来です。 出羽三山の開祖と伝えられる蜂子皇子は、五穀の種子を出羽の国に伝え、人々に農耕を教え、産業を興し、治病の方法を教え、人々のあらゆる苦悩を救うなど、幾多の功徳を残されたそうです。全ての民の苦悩をく除くということから、能除太子と称され、91歳で薨去されました。 山形県庁ホームページより

 蜂子皇子の御姿は御顔がみにくく、口は大きく耳の根本まで裂け、鼻の高さは三寸もあり、顔の長さは一尺五寸もある異様な御姿であったと伝えられていますが、これは人々の苦悩を一身に引き受けたからだとも言われています。

山形県庁ホームページより