禅中橋 鳥居町 鶴岡市 山形県
禅中は荒町で米商を営んでいたが、寛政のはじめ、家業を長男にゆずり八日町総穏寺元能和尚の弟子となった。この川が渡し舟だったのを不便に思い托鉢して資金をつくり、文政3年(1820)ここに橋をかけた。翌年82歳で他界した。 昭和48年12月 庄内文化財保存会