船役所跡 大石田 大石田町 北村山郡 山形県
大石田河岸が姶まったのは、延文元年(西暦1356)ころからといわれております。寛永の頃には平和産業が発達し、特に延沢銀山の最盛期とも重なり最上川による輸送が益々活発となって、大石田の河岸の役割が重要になりました。元禄時代最上川に就航していた船は、大石田船290余隻、酒田船250余隻を数えました。その積出し米は、年間24万俵を数え、500有余の船が毎日最上川を上下する様相はまさに壮観と言えました。又寛永の頃、江戸・大坂に向う客は5月から8月までの間に、3600余人を数えたと言います。 物資の輸送面においては、酒田を経て直接京都・大坂方面との取引が行なわれました。従って上方文化が直輸入されていたので、酒田と共にハイカラな土地であつたと言われます。このようなことから寛政4年(西暦1792年)に幕府直轄の大石田川船役所が現在地に設置されました。     大石田町  大石田町観光協会