山刀伐峠古道入口 満澤 最上町 最上郡 山形県
暴風雨に遭い、2泊3日にわたって「封人の家」に逗留した芭蕉と曾良は、元禄2年(1689)5月17日(陽暦7月3日)、山刀伐峠を越えて尾花沢へ向かった。しかし、この峠越えの路は、芭蕉が「けうこそ必あやうきめにもあふべき日なれと、辛き思ひをなして」、屈強の若者について行かねばならない難所であった。芭蕉は「おくのほそ道」に、この峠越えの印象を
  高山森々として一鳥声きかず、木の下闇茂りあひて夜る行がごとし。雲端につちふる心地して、篠の中踏分踏分、水をわたり岩に蹶て、肌につめたき汗を流して、最上の庄に出づ。
と記している。芭蕉師弟の通った元禄の頃には、山刀伐峠一帯はブナの原生林におおわれていたと思われる。「おくのほそ道」の表現に幾分の修飾はあっても、芭蕉の峠越えの印象は決して虚構ではなかったであろう。尾花沢の鈴木清風の下へ急ぐ芭蕉師弟は、堺田で思わぬ足止めを強いられたために、危険をおかして近道の山刀伐峠を越えたのであった。芭蕉と曾良は、案内の若者が残した「此みち必不用の事有。恙なうをくりまいらせて仕合したり」との言葉に、「跡に聞てさへ胸とゞろ」かせながらも、無事に山刀伐峠を越えて、尾花沢へ向かうことができた。芭蕉師弟が不安な心境で越えた峠も、昭和52年にトンネルが開通し、瞬時に通り過ぎることができるようになった。  山形県最上町