万騎ノ原古戦場跡 万騎の原 富澤 最上町 最上郡 山形県
万騎ノ原は、戦国末の天正8年(1580)、小国(現最上町)領主細川氏の軍勢と山形城最上氏の軍勢が戦った古戦場である。その年の7月、(一説では9月)、勢力の北進を図る最上義光の大軍勢(3500人といわれる)が、尾花沢方面から怒涛のごとく小国の地に押し寄せてきた。細川氏がその大軍を迎え撃ったのがここ万騎ノ原であった。しかし、多勢に無勢(細川勢300人と伝えられるが定かではない)、細川勢は抵抗むなしく短時間のうちに敗北した。この時、小国城は炎上し、城下町の本城も灰燼に帰したといわれている。治世の始まりは明らかでないが、細川氏は天正8年まで兄の摂津守直元が本城に「岩部の館」、弟の帯刀直重が志茂に「水手の館」をそれぞれ構えて、兄弟で小国8000石余を支配していた。四周を大小の山々に取り巻かれた一種の別天地にあって、細川氏は外敵の侵入をそう恐れることもなく、安定した政を執り行っていたのであろう。しかし、天正8年7月、平和裏にあった小国の地は最上氏の大軍勢に席巻され、細川一族は滅ぼされてしまったのである。以上のように万騎ノ原は今から400年以上前、細川・最上の両軍勢が干戈をまじえた古戦場である。また一説によると、もともとの地名は「牧ノ原」で、古くは牧場飼育の馬産が行われていた牧野ではないかとも言われている。  昭和61年10月 山形県最上町