文知摺石 信夫文知摺観音 福島市
石の伝説
遠い昔の貞観年中(9世紀なかばすぎ)のことです。陸奥国按察使源融公がおしのびでこのあたりまでまいりました。夕暮れ近いのに道もわからず、困り果てていますとこの里(山口村)の長者が通りかかりました。公は出迎えた長者のむすめ、虎女の美しさに思わず息をのみました。虎女もまた、公の高貴さに心をうばわれました。こうして二人の情愛は深まり公の滞留は一ヶ月余りにもなりました。やがて公を迎える使いが都からやってきました。公は始めてその身分をあかし、また会う日を約して去りました。 再開を待ちわびた虎女は、慕情やるかたなく、「もぢずり観音」に百日詣りの願をかけ、満願の日となりましたが、都からは何の便りもありません。嘆き悲しんだ虎女が、ふと見ますと、「もぢずり石」の面に慕わしい公の面影が彷彿とうかんで見えました。なつかしさのあまり虎女がかけよりますと、それは一瞬にしてかきうせてしまいました。
 
みちのくに忍ぶもぢずり誰ゆえに、みだれそめにし我ならなくに(河原左大臣源融)
公の歌が使いの手で寄せられたのはちょうどこの時でした。もぢずり石を、一名「鏡石」といわれるのはこのためだと伝えられています。  信夫文知摺保勝会