総鎮守 神炊館(おたきや)神社・須賀川城外濠跡 諏訪町 須賀川市
主祭神は建美依米命(たけみよりめのみこと)。同命は、成務天皇の御代に初代石背国国造として当地に赴任しました。着任するや、社壇を築き収穫された新穀を炊いで天神地祇に捧げて政治の成功を祈願しました。社名は故事に由来しています。(中略)松尾芭蕉が「奥の細道」行脚の途次、当神社を参拝したのは、元禄2年4月28日でした。明治11年現在の社名に復称し、須賀川町の総鎮守となり、現在に至っています。   神炊館神社社務所  
中世の時代、岩瀬郡の大半は二階堂氏の支配下にあったが、その居城である須賀川城は文政5年(1448)、二階堂為氏によって構築された平城である。天正17年(1589)、須賀川城に拠る二階堂氏に伊達政宗が戦いを挑んできた。城内に侵入した伊達の軍勢に対して城中の二階堂勢は必死の防戦を展開したが、敵に内通した守谷筑後守が城内に火を放ったため、二階堂氏勢は総崩れとなり須賀川城は陥落し、二階堂氏は滅亡した。落城後、城跡は濠を埋め、焼け跡は整理され、中宿・牛袋の農民が移住させられ町人町になったが、そのあと須賀川は奥州街道筋屈指の宿場町として再生した。現在、かっての須賀川城の遺構はほとんど失われたが、この外濠跡は僅かに残されたその一つである。   平成7年11月13日   須賀川教育委員会