殺生石の由来
殺生石は昭和28年8月12日史跡に指定されました。この由来の概略は 昔中国や印度で美しい女性に化けて世を乱し悪行を重ねていた白面金毛九尾の狐が今から800年ほど前の鳥羽天皇の御世の日本に渡来しました。この妖狐は「玉藻の前」と名乗って朝廷に仕え日本の国を亡ぼそうとしましたが、時の陰陽師阿部泰成にその正体を見破られて那須野ヶ原へと逃れてきました。その後も妖狐は領民や旅人に危害を加えましたので朝廷では三浦介、上総介の両名に命じ遂にこれを退治してしまいました。ところが妖狐は毒石となり毒気を放って人畜に害を与えましたのでこれを「殺生石」と呼んで近寄ることを禁じていましたが 会津示現寺の開祖源翁和尚が石にこもる妖狐のうらみを封じましたのでようやく毒気も少なくなったと語り伝えられています。芭蕉は元禄2年4月18日奥の細道紀行の途中にこの殺生石を訪れ
  
石の香や 夏草あかく 露あつし
と詠んでいます。昭和52年10月25日  那須町
殺生石 那須湯元 那須郡 栃木県