松尾芭蕉と曾良は元禄2年4月3日(陽暦5月21日1689年)に日光より今市・船入・玉入・沢村・大田原を経て黒羽の余瀬に住む鹿子畑翠桃を訪ねた。(中略)目じるしとてない那須野の原の道であるので、道なれたこの馬に乗って行き、馬が止まったら返してくださいと貸してくれた。「ちいさき者ふたり馬の跡したひてはしる。独りは子姫にて、名を「かさね」と云。聞きなれぬ名のやさしかりければ、かさねとは八重撫子の名成るべし 曾良」とある。まことに、那須野の有情農夫と八重撫子のようなかわいらしい小娘の挿話に心暖まるものがある。    芭蕉の里   黒羽町
西教寺 余瀬