白旗城は、大関氏の室町時代から戦国時代の拠点で、応永期(1394〜1428)に大関増清が松野(馬頭町)より移り、天正四年(1576)大関高増が黒羽城に移るまでの居城である。那珂川支流の湯坂川沿いの南北に連なる白旗丘陵南端部を利用したもので、南北約500m、東西約150m、面積約7.5haの連郭式の山城である。本城(本丸)・北城(二の丸)などの曲輪が、空掘と土塁によって区画されている。麓には東山道(中世には関街道)が通じ、粟野宿(余瀬の集落)があり、交通・軍事の要衝の地であった。(中略)「白旗」の名は、源頼義が奥州の阿部頼時を攻めた際、ここで白旗を翻して軍揃えをなしたことに拠るという。また、余瀬という地名については、当地で軍勢を寄せ集めたことから、寄勢と称され、後で余瀬と改められたともいう。   黒羽町教育委員会
白旗城址 余瀬 黒羽